■ A MIRACLE FOR YOU 


                  
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「はぁ〜…」


時間が経てば経つほど、ホンキートンクのカウンターの内と外でつかれる溜息の数が増え、波児が”こりゃあ、ますます客がよりつかねぇ店になるなー”と肩を落とす。
まあ銀次から、蛮の『お誕生日会』がしたい(その発想がどうにも幼稚園児並で、思わず苦笑してしまったが)という相談を受けたあたりから、こんなことになるんじゃないかと、大方の嫌な予感はしていたんだが。
だいたい自分の誕生日を嫌うアイツが、そうそうそんな祝い事に乗じるとも思えず、どうせ当日トンズラを決め込むに違いないと思っていたのだ。
案の上だ。
蛮にしてみれば、急遽入ったヘブンの依頼も、そういう意味では好都合だったに違いない。
―まあ、しかたねぇか。
呆れたように思いつつも、それでもカウンターで1人明るく振る舞っている銀次を見るにつけ、それを責めてやりたい気にもなってくる。

まったくもって、オマエの相棒は健気だよ。
時計をチラチラ気にしつつも、どんよりとなる女共を元気づけようと躍起になってる。
笑っちゃいるが、目が潤んでるじゃねーか。
いいのか、蛮よ。
こんなヤツを放っておいて、こんな日に1人で仕事もねえだろう。
いいから、とっとと今日のうちに帰ってこい。
コイツだけにゃ、”おめでとう”って言わせてやれよ。

蛮の誕生日会用の料理とは別に、すっかり凹んでいる皆の夕食を作ってやりながら波児が思う。
銀次は、夜の10時を回って尚のこと、酒も入ってないのに饒舌になっていた。
出してやったピザには1人だけ手もつけず、ヘブンたちを相手に一生懸命に話しかけては笑っている。
それについつい笑みを誘われ、ヘブンも表情を和らげていた。
夏実やレナも、声をたてて笑っている。
「もう、銀ちゃんったら、やーねぇ」
そして、ヘブンが笑いながらそう返して、ぱくっと皿から手に取ったばかりのピザに食らいついたとほぼ同時に。
そのバッグの中で、突如ケイタイの着信音が鳴り響いた。
店の中も誰もが、その音に一瞬ぴくりとする。
ピザを慌てて咀嚼し飲み込んで、ヘブンは壊しそうな勢いでバッグを開き、ケイタイを取り出した。
「もしもし!」
怒鳴るように電話を受けたヘブンが、そこから聞こえてきた声に見る見るほっとしたような顔つきになる。
「―蛮クン…! あー、よかったぁ〜」
ヘブンの口から出た名に、皆の表情が一斉に和らいだ。。
「あ、いえ別に。信用してなかったのかって、そうじゃなくてね。それより今どこ? うん、うん…。そう、わかったわ。…ええ!? ちょっとぉ、聞こえないわよ! 怒鳴らないでってば! あー、もううるさい。二人とも喧嘩は電話切った後にしてちょうだい。―え? うん。そうね、了解。ああ、とにかくね、依頼品を届けるのはレディポイズンにでも任せて、蛮クンは先に帰ってきてよ。みんな待ってるんだから。…え? うん、それはそうだけど」
眉を顰めながら答えつつ、ヘブンがちらりと隣のスツールを見やる。
そこで、飼い主を待ちわびる子犬のような瞳で、じっと話の成り行きに耳を傾けている様子の銀次と目が合うと、笑みを浮かべて”わかってるわよ”と小さくウィンクをした。
「あ、それで、蛮クン。今、隣に銀ちゃんいるの。ちょっと待って、代わるから―」
ヘブンの言葉に、銀次が一瞬どきっとしたような顔になる。
”あ、オレ?”と自分を指差すなり、心持ち赤くなってしまった。
なんだか、気恥ずかしいというか。
半日しか離れてないのに、ずいぶんと会ってない気もして。
携帯を受け取ろうとする手が、少し躊躇う。
でもやっぱり、早く帰ってきて、待ってるから―と言いたくて、手を伸ばそうとした途端。
「え?! いいって? あ、ちょっと! 蛮クン! 蛮クンってば!!」
電話を差し出し掛けたヘブンが、慌ててもう一度それを自分の耳に押し当て叫ぶ。
「ちょっと、もしもし!?」
ヘブンが呆然と切れたらしいケイタイを見つめ、銀次がそれに瞳を見開いたまま、差し伸べようとしていた手を素早く自分の後ろへと引っ込めた。
気まずい雰囲気に、ヘブンが取り繕おうと必死の笑みを浮かべ言う。
「あ、ごめん、銀ちゃん! えっとね、なんだか電話の向こうで、蛮クンとレディポイズンが言い合ってて、私の言ってること聞き取れなかったらしくて…。あ、あの、とにかく急いで帰ってくるようには伝えたから―。…ごめんね?」
本気ですまなそうに両手を顔の前で合わせるヘブンに、銀次が慌てて笑顔になる。
「あ、ううん! もう帰ってくんだったら、別にオレ、今しゃべんなくてもいいし!」
「あ…う、うん、そうよね― あ! それで仕事の話なんだけど。なんだか最初からターゲットの品には、奪い屋が狙いをつけてたらしくて。彼女、依頼の品を運んでいる途中に襲撃に合って、それごと拉致られてたらしいのよ。…やっぱり蛮クンに行ってもらって助かったわ。後は、これから依頼主に品物を届けたら、コッチに帰ってくるからって。レディポイズンにまかせておけばいいっていったんだけど、一応、引き受けたからには最後まで見届けるって。まったくこういう時に限って、妙にきっちりしてるっていうか…」
ヘブンの言葉に、銀次が少しばかり複雑な表情を浮かべた。
それでも、自分を気遣うヘブンのため、努めて明るく言う。
「そう、なんだ。あ、でも、とにかく無事でよかったよね、卑弥呼ちゃん」
「うん―。ああ、そうだ。馬車さんに電話しておくわね、とにかく蛮クンを12時までには絶対ホンキートンクに送ってきてもらうようにって」
「え、あ、ヘブンさん…! 待って」
「大丈夫よ、銀ちゃん。彼も、伊達に”ミスターノーブレーキ”なんて呼ばれてるワケじゃないから。ねっ。速さでいえば…」
言いながら、再びケイタイを開こうとするヘブンの手を、銀次の手がそっと制した。
「いいんだ」
「銀ちゃん?」
「あんがと、ヘブンさん。でも、いいから」
微かに淋しげな翳りを落とした琥珀の瞳と、静かな口調が、尚も制す。
「いいから、って…」
「きっと、ちゃんとぎりぎりには帰ってくっと思うから。蛮ちゃん。―だから、いいんだ」
”どういう意味?”と不思議そうに問うヘブンに、銀次は、それ以上は何も言わず、ただにっこりとするだけだった。




「もう! だから、いつまでもうるさいのよ、あんたってば!」
「うるせぇたあ何だ! 今頃、オレ様がいなけりゃテメーはよお」
「だから、恩着せがましく言わないの! 別にアンタの助けを当てにしてたわけじゃないんだから」
「あーもう、ああ言えばこういう! ったく口の減らねえオンナだぜ、この処女はよー!」
「関係ないでしょー、そんなこと!」

「あ、帰ってきたみたいですよ!」
店の外から聞こえてくる蛮と卑弥呼のやりとりに、夏実が洗いものをしていた手を止めて、カウンターの銀次に言う。
電話を切られた後、さすがにショックだったのか、カウンターに片頬杖をついたまま何か考え込むようにしていた銀次が、その声にはっと顔を上げた。
時計を見る。
23時、50分―。
少し哀しそうな瞳でそれを見、銀次は誰にも聞き取られないような微かな溜息を漏らした。
と、同時にカランとベルが鳴らされ扉が開き、まだ喧々囂々言い合いつつ蛮と卑弥呼が入ってくる。
「蛮クン!」
思わずスツールから立ち上がったヘブンに、蛮が”よう”と片眉を上げて、店内の少々どんよりした空気を無視して大威張りで言った。
「おう、ヘブン。無事、奪われたブツと、拉致られてたドジな運び屋を奪還してきたぜ」
「ちょっとアンタ! そういう言い方ってねえ」
噛み付く卑弥呼を脇に押しやって、蛮の前に立ってヘブンが訊く。
「そう、よかったー! で、依頼の品は?」
色々他に言うべきことはもちろんあったが、とにかく仲介屋としては、まず仕事の報告を聞く方が優先だ。
今回、大概気を揉まされる羽目になってしまったのだから、止むを得ない。
「ああ、さっき依頼人に届けてきたとこだ。馬車のオッサンは、まだこれから別の仕事があるからって行っちまったけどよ。あ、報酬の件は、またテメーに連絡するとよ。今回、イレギュラーの仕事だったからな、まあたんまりふんだくってやれって言っておいたぜ」
「え、ちょっとぉー! もう、そうでなくても今回蛮クンに支払う奪還料で、私の仲介料パーだっていうのに! まったくー! だいたいレディポイズン! いくらDr.ジャッカルがつかまらないからって、あんたが最初から1人でいい!なーんて言い張るから」
「悪かったわね! コッチこそ向こうに奪い屋がついてるなんて聞いてないから。アンタからの情報不足も原因でしょうが!」
「そ、そりゃあそうだけどー」
「それに言っておくけど、私は頼んでないんだから! あんたがコイツを勝手によこしたんじゃない!」
「何ですってえ、私はあんたのこと、心配してあげ…!」
「いらぬお世話だっての!」
「こーのー! ほんっとに口の減らないオンナねえ!」
「何よー! やる気!?」
女同士の争いに、まったくよーやるぜと辟易とした顔でそれを横目に見、
蛮が胸ポケットからマルボロを取り出しながら、銀次の隣のスツールに何事もなかったように腰掛ける。
「波児、ブルマン」
「―おう」
「ったくよお」
「その分じゃ、大したことなかったみてぇだな」
「あ?」
「奪い屋の連中」
「まーな。雑魚ばっかでよ。運動にもなりゃしねえ」
「―の割にゃ、時間かかってたな」
「卑弥呼の拉致られてた場所、つきとめんのにな。ちっと難儀したんだよ」
「ほぉ」
「―何が言いたい?」
「いや、別に。けど追尾香でも撒かれてりゃ、オマエなら、そんなもんつきとめんのは一発じゃねえのかい」
「んだよ。やけに絡むじゃねーか」
ちろっと煙草を口に咥えたまま、不機嫌に蛮が波児を見上げる。
それを咎めるように見下ろして、波児が蛮の隣に視線を投げた。
途端に蛮が、”わかってる”と苦々しい顔付きになる。
そして、やおらポン!と銀次の頭の上に手を置いた。
スツールに腰掛けたまま、成り行きを見守って声すらかけるタイミングを逃していた銀次が、その手に驚いたようにぴくっと両肩を上げて蛮を見る。
琥珀の瞳が、真横に蛮の瞳を見て僅かに細められた。
―本来ならば、こんな場合。
いつもの銀次なら、まるで犬が尻尾を振ってご主人を迎えるように、我先にと蛮を迎えにその扉に向かって駆け出して、その首に”おかえんなさい”とむしゃぶりつく所なのに。
楽しそうに、卑弥呼とふざけ合いながら(蛮は、啀み合いながらだと主張するだろうが)入ってきた蛮にそれも出来ず、いきなり仕事の話を始めてしまったヘブンに、さらには「おかえりなさい」と声をかける機会も失ってしまった。
蛮に何も言えずに、ふいと視線を逸らし、琥珀が曇る。
頭に置かれた蛮の手が嬉しいはずなのに、つい俯いてしまった。
そのまま項垂れるように視線を下げていると、蛮の手が諦めたように離れていき、それがジッポに火を点す。
確かに、戦った相手は蛮にとっては取るに足りない相手だったらしく、衣服は乱れるどころか汚れすらまったくない。
どんな相手だったのか、卑弥呼はどうしていたのか、聞きたいことは山ほどあるけれど、今は、本当に聞きたいことはそんなことじゃない。
――沈黙の後。
やっと銀次の口をついて出たのは、銀次にしては珍しく、ひどく静かで沈んでいるような声だった。
「…どうして? 蛮ちゃん」
「あ?」
「今日がさ。…もうあと10分もナイけど…。自分の誕生日だったって、知ってたでしょ?」
「…あー、そうだっけか?」
気のない返事に、銀次が落としていた視線をゆっくり持ち上げる。
「―蛮ちゃんが、自分の誕生日とかそういうのに、いい思い出がないっていうの、オレわかってる。でも。だからこそ、みんなに大事にしてもらいたいって、そんで、波児さんたちに頼んで、蛮ちゃんのお誕生会してもらおうって」
「ガキじゃあるめーし」
にべもなく言われ、銀次がきっと視線を尖らせ、ばっと蛮に向き直った。
「でも…! みんな、一生懸命蛮ちゃんのために料理作ったり、ケーキ焼いたりして、そんで…。プレゼント、とか…。用意して―!」
「ウゼェよ」
「…え?」
「ったく。余計なこと、しくさってよ。そういうの煩ぇんだよ。んなに無理するこたぁねーんだって」
「無理って! そんなことないよ、みんなだって、オレだって、本当に蛮ちゃんのために…!」
「だから! そういうのが煩ぇっつーんだよ! んな必要ねぇっての! 別によ。どーだっていい日だろうが、オレにとってもテメーらにとって
も。一年で最もくだらねぇ日、なんだからよ―」
「蛮ちゃん…!」
吐き捨てられるような言葉に、銀次が思わずスツールから立ち上がった。
「そんなこと言わないでよ!!」
銀次のその剣幕に、掴み合いを始めかけていた卑弥呼とヘブンもぴたりと動きを止める。
「オレにとっては大事な日なんだよ!! 一年中で、一番大事な日なんだから! 蛮ちゃんが…! 蛮ちゃんが、そういう言い方しないでよ!!」
「…銀次?」
余りの声の荒げように、蛮も思わず瞠目する。
そんな蛮を見下ろして、銀次は目元を赤くして涙を滲ませると、悔しげにくっと唇を噛み締めた。
「オレ…。知ってるよ―。さっき電話してきた時、もう依頼の品、本当は依頼主さんに届けた後だったんでしょ?」
銀次の台詞に、蛮の代わりに卑弥呼が肯定の意味を含んで瞳を見開く。
「だから、オレに電話代わらなかったんでしょ? …だって、蛮ちゃん。オレに本気で嘘つけないもん…」
「銀ちゃん…」
「蛮ちゃんが、自分の誕生日なんて大嫌いだって、そう思ってるって、オレ知ってる。知ってた…。こんな風に祝われたくないことも、知ってた―。だから、時間稼ぎしたって帰ってきたくないってことも! でも、でも…! オレはね、おめでとうって言いたかったんだから! 蛮ちゃんが、生まれてきてくれて嬉しいって! 蛮ちゃんの生まれた日に、”生まれてきてくれて、ありがとう”って、そう言いたかったんだ! ”おめでとう”も”ありがとう”も、ちゃんとみんなの前で、蛮ちゃんに言いたかったのに――!!」
そう蛮に向かって叫ぶように言う銀次の大きな瞳から、感情とともに堪えきれない涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「蛮ちゃん、なんか―!」
言って子供のようにぐしゃっと顔を歪ませると、腕でぐいっと涙を拭って蛮の後ろを通り過ぎる。
そして店の扉を開くなり、猛然と外へと飛び出した。

「銀次!」

蛮の呼び声が背中で響いたが、立ち止まることは出来なかった――。








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